差し出された小指を必死でつかむ子供の力強さは人間を変える
どちらかと言えば子供が苦手だった私。そんな私も子供を授かることができました。
生まれたばかりの娘に、恐る恐る差し出した小指を、小さな手で力強く握られたとき、私の中で何かが変わり始めたのを、今でもはっきりと覚えています。
立ち合い出産
最近では珍しくもなくなった立ち合い出産。かつては、分娩室の外でオロオロと待っているのが男・・・とまで言われていたようですが、妻と私の希望で立ち合い出産をすることになりました。
結婚するまで、だらしなく自堕落な生活を送ってきた私にとって、自分の子供が生まれるなんて、想像すらできませんでした。
こんな遺伝子を後世に残していいのだろうか?とさえ思っていたほどです。
妊娠がわかり、妻のお腹の中でどんどん成長していく子供。父となる自覚と心構えも、事前の説明会で説明されました。
予定日前日
まだ陣痛もなく、妻の実家で待機していました。夜8時を回った頃、妻が、
「破水したかも・・・」
と言いました。急いで病院に連絡し、私の車で病院に向かいました。
妊娠中の経過は問題なかった妻とお腹の中の娘ですが、実は妊娠性糖尿病と診断されていて、街の産婦人科医から、「もしもの事があったとき対応できない」と、県の大きな病院に通院していたのです。
毎日、指の先から血を採り、血糖値を記録し、インスリン注射を打っていました。
妊娠性というからには、産後は血糖値も元に戻ったのですが、半年もの間、頑張ってくれた妻に、今でも感謝しています。
いよいよ娘とご対面
分娩室の前室?で、おなかの中の娘の脈拍をモニタリングしながら、産科の先生の指示をひたすら待ちました。
妻は呼吸を整えながら、私は赤ちゃんがまだ出てこないように、「股間を押さえていてください」という指示に従い、必死で押さえていました。
深夜から早朝にかけて、睡魔と闘いながら、押さえる腕はパンパンになっていました。
そして日の出の時刻ころ、ついに分娩室へ移動しました。
立ち合い出産とはいえ、私は妻の傍らで励ますことしかできませんでした。
お腹の中の脈拍が乱れ、先生方は慌ただしく動き回っていました。どうやら、へその緒が首に絡まっていたようで、なかなか出てきません。
ついには脈拍の音も消え、全身から嫌な汗がにじみ、必死で頑張る妻の手を握りながら、ただ祈っているだけでした。
赤ちゃんの頭を挟み込む器具?を使って引っ張り出し、やっと取り上げられた娘に、すぐに手を差し延べる妻。
男には想像できないような痛みだっただろうに、そんな痛みもわすれたかのように、ただただ生まれたばかりの我が子を愛でていました。
私は、安堵と感動がこみあげ、ふわふわした感覚でしばらく立ち尽くしていました。
体重は2526グラム。その後少し減り、数日間、保育器に入っていました。
差し出した小指を掴まれた力強さは一生忘れない
保育器の中の我が子は、自分が見ても、他の誰もが見ても、私にそっくりでした。こんな俺に似てていいのか?と少し心配になりながら、生まれたばかりの小さな娘に、小指を差し出しました。
すると、目もまだはっきりと見えない娘は、その小さな手で私の小指を力強く握ってきました。
柔らかくて暖かくて、小さな赤子の力なのに、大人の力強い握手よりも強い力で握られているように感じました。それだけで涙があふれてきました。
この子のためなら何でもできる。
心の底からそう思えました。自分自身より大切な存在なんていない・・・そう言う方もいますが、私にとってこの子は、間違いなく自分よりも大切な存在です。
自堕落・不摂生、どうしようもなかった私が、ここまで変われたのも、あの感動があったからこそだと思います。
スポンサーリンク