結婚して得たモノ・失ったモノ
つい先日、十数回目の結婚記念日を迎えました。
もともと自堕落で不摂生、人付き合いも得意ではない私が、なんとなくでも父親として、夫として家族を支えていけているのは、ひとえに妻のおかげだと感じています。
他人だった人と毎日一緒にいる不思議
中には幼いころから幼馴染で、気づけば付き合い、そして結婚する方もいらっしゃるかと思いますが、私の場合は学校も就職先も違いました。
なにかしら縁があったのか、偶然出会い、一緒に暮らし、そして結婚しました。
何の接点もなかった他人と、今こうして毎日一緒に暮らしていることに、なんとも表現しようのない、不思議な感覚に陥ることがあります。
これから先も、特別な事情がない限り、どちらかが死ぬまでずっと一緒に暮らすことでしょう。それが夫婦・・・と言ってしまえばそれまでなんですが、なんでしょう?この不思議な感覚は。
結婚して得たモノ
大学時代、いや卒業して就職してからも、特に目標もなく人生設計などとは無縁な生活を送っていました。
見た目も普通。他より秀でたところもない、ごくごく普通の私は、結婚なんてできるはずはないと思っていました。
人並みの幸せ
今ではずっと未婚のままというのも珍しくありませんが、それでも一般的には結婚して家庭を築き、子供を育て・・・というのが普通の流れかと思います。
無縁だと思っていたその「普通」を得られたのが、私としては大きな収穫でした。
ありふれた毎日だけど、一人では絶対に体験できない生活であることは確かです。
自分の遺伝子が後世に残る
なんか淡泊な見出しですが、こんな私でも子供を授かることができました。
子供ができる前は、あまり子供のことが好きではありませんでした。ヨダレや鼻水を垂らす。おもらしをする。
子育てなんて面倒で、できるはずがない!とさえ思っていたのですが、保育器に入っている生まれたばかりの我が子を見たら、自分自身よりも大切な存在であることに気づきました。
参考:差し出された小指を必死でつかむ子供の力強さは人間を変える
我が娘は、私にとってこの世で一番大切な人です。
結婚して失ったモノ
某漫画の有名なセリフ・・・
人は何かの犠牲なしに何も得ることはできない 。何かを得るためには、それと同等の代価が必要になる 。それが、錬金術における等価交換の原則だ 。その頃僕らは、それが世界の真実だと信じていた。
鋼の錬金術師より引用
錬金術じゃなくてもこれはかなり同意できるセリフです。個人的にね。
結婚して得たものがあれば、必ず対価として失ったものもあるはず。
時間
結婚して人並みの幸せと最愛の娘を得た私は、その対価として「自分の時間」を支払いました。
人間、一人では生きていけませんが、一人になる時間は必要です。その時間の大半を、私は失いました。
「失った」というと少し語弊があるかもしれませんが、確実に自分一人の時間は減りましたね。
その失った時間が、得た幸せと等価なのかはわかりません。
自由
独身のころは何から何まで、好き勝手やってました。自分のためにお金を稼ぎ、自分のために消費していました。
結婚して家庭を築くと、そうは言ってられません。
「自分のために」から、「家族のため」「娘のため」に、私の自由を削り取って家事・育児をしています。
あとがき
結婚して得たモノと失ったものが等価だとは思っていませんし、リセットして比べることもできないので、後悔もしようがありません。
ただ言えることは、こんな私についてきてくれる妻への感謝と、私の子として生まれてきてくれた娘への「ありがとう!」しかありません。
スポンサーリンク