私の出会った発達障害児の親御さんは、みんな明るく前向きだった
もともと更新頻度が高くないこのブログですが、少し間が空いてしまいました。
というのも、高熱を出したときに必ずみる夢という記事を書いた後に、インフルエンザを発症してしまい、一週間ほど隔離状態でした(笑) やはり子供のころにみたような悪夢は見ませんでした。
さて、娘がまだ小学校にあがる前、ちょうど発達障害の診断が出るか出ないかという頃、県の施設で療育をしていました。
その施設にはほかにも多くの障害をもった子供が、診察や療育に訪れています。当然、その子たちの親御さんとも顔を合わせる機会が多いわけですが、障害の程度に関わらず、皆明るく前向きに子供と向き合っていることに驚いたのを覚えています。
発達障害のイメージは「哀れみ」だった
私が我が子を授かる前、あるいは結婚する前、発達障害をもつ子供に対するイメージは「可哀そう」という哀れみしかありませんでした。
今となっては恥ずかしいことですが、当事者でなければ「他人事」以外の何物でもなかったのです。
私が子供の頃にも、周囲に発達障害の子はいたと思います。知能が少し遅れている子、多動で落ち着きのない子、友達とコミュニケーションが苦手な子・・・。
できれば関わりたくない・・・と目を背けていたのも事実です。
当事者になってはじめて解る
発達障害やほかの様々な障害について、まったく理解していなかった私でしたが、いざ我が子が発達障害だとわかってから、他の障害を持つ子供たちとその親御さんと触れ合う機会も増え、正しい理解を深めることができるようになってきました。
はじめは「なんて手のかかる子だ・・・」と、夫婦そろってノイローゼになりかけました。他の定型発達の子と比べてしまい、娘にきつく当たってしまうこともあり、その度に自己嫌悪に陥っていました。
療育に通い始めた頃は、世間体を気にしたり、劣等感に似た気持ちにさえなりました。
そんな中、療育センターで出会う、同じように発達障害をもつ子供とその家族の、明るく前向きな姿に驚かされました。
我が娘よりももっと重度の障害をもつ子、中には車いすが欠かせない子もいました。想像しかできませんが、さぞ大変な育児をしているのだと思います。
でも、どのご家族もそんなことは微塵も感じさせないほど明るく、そして真剣に障害をもつ我が子と向き合っているのでした。
発達障害の理解が進むにつれ、そして療育に通い障害児のご家族と少ないながらも関わり合うことで、いつしか我が子にきつく当たってしまうこともなくなりました。
障害があるからといって不幸とは限らない
たまたま、娘が通っていた療育センターが、こういったご家族ばかりだったのかもしれませんが、虐待にあったり、育児に無関心の親から育児放棄をされたりといったことに比べれば、よほど大切に、愛情を注がれているといえるのかもしれません。
生まれてくる命がすべて等価だとするのなら、障害があることによって劣っていると考えるのではなく、大多数の定型発達の人の中では生活しにくいだけと考えるほうがいいのではないでしょうか。
その生きにくさをサポートしてあげられるのが家族であり、正しく理解が広まった世の中なのかもしれません。
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