÷0=? 掛け算の式の順序?小学校の算数、フォローできていますか?
突然ですが、お子さんが小学校でどんな学習をしているか、把握していますか? 特に算数。
先日、ネットを徘徊していたところ、「9÷0=」という算数のプリント問題で、「0」という回答が正答とされている・・・というのを見かけました。
理系の方は「え?」と感じると思います。文系の方は「何か間違ってるの?」と思うかもしれません。
自分の子供が小学校でどんなことをどのように教わっているか把握して、疑問点は親が適切にフォローできているでしょうか?
□÷0=0??
ある数を0(ゼロ)で割ると、答えは? という問いを、私の妻にしてみました。
妻は「ゼロ」となんの疑いもなく即答。 「小学校で習ったもん!」と自信満々です。
おかしいなぁ・・・私と同い年の妻ですが、私は小学校でそんなこと習わなかった(記憶にないだけかも?)のですが・・・。
例えば、「9÷0=0」なら、式を変形すると、「0×0=9」ってことになってしまいます。・・・ということを妻にヤンワリと説明すると、機嫌を損ねてどこかへ行ってしまいました(笑)
気になった私は、娘の算数のプリントを全て見直して、「ゼロで割る」問題がないか、チェックしましたが、幸いそんな問題はありませんでした。
でもこれ、小学校レベルでも、「式としては」書けてしまうんですよね。数字と演算記号を並べるだけなんですから。
子供から「9÷0=?」という質問をされたとして、子供に理解できるようにしっかり説明できるでしょうか?
「ゼロで割ることはできないんだよ」と教えたとしても、「なんで?」と返されたら、「うぐぐ・・」となってしまうかもしれません。
小学校の教育って難しいですね。
小学校の掛け算の式には順序がある
問題:3台の車に5人ずつ乗ると、全部で何人?
答え:5×3=15人
この問題、「3×5=15人」では、答えは正解でも、式で減点される可能性があります。
小学校では、「一つ分の数」×「いくつ分」=「全部の数」 と順序を統一して教えているようです。
ご存知のとおり、掛け算には交換法則があり、「5×3」でも「3×5」でも、答えは同じになります。ではなぜ、掛け算の順序にこだわるのでしょうか?
ネットでよく見かける理由として、以下が挙げられます。
- 文章問題をしっかり理解しているか?を試すため。
- 割り算の理解を深めるための準備。
たしかに上の文章問題では、何を求めているのかわからなくても、出てきた数字を順に並べて掛け合わせれば、答えが導かれます。
「一つ分の数」が何で、「いくつ分」が何で、とわからなくても、結果としては九九ができれば「全部の数」=正解 が答えられてしまうんですね。
でも立てた式の順序が逆というだけで、文章問題をしっかり理解していない・・・と結論付けるのはちょっと乱暴な気がします。
算数の掛け算のテスト(やプリント)であれば、出てきた数字を掛け合わせればいい・・・だからそのままの順で掛けて答えを出す。 これだって子供の考え方としては間違っていません。
「いまやっているのは算数の掛け算のテストだから、出てきた数字、これとこれを掛ければいいんだな?」と考える子だっているはずです。
たとえ何を問われているかわからなくても、こういった思考で問題を解決しようとする姿勢は、私は好きです。
また、交換法則を習っていなくても、九九を習う段階で、勘の良い子ならわかるはずです。「さんご じゅうご」と「ごさん じゅうご」どちらも同じだよね!と。
文章問題の理解度を試すのなら、掛け算の式の順序にこだわるよりも、計算に使わない数字も文章中に入れて問題を作ったほうがいいのに・・・と思います。
広汎性発達障害の娘は・・・
ウチの娘は「決まった手順」や「決まった方法」に固執する傾向があります。臨機応変に物事に対処する力があまりありません。
一度教わった解法を、そう安々と変えられるとは思えないんです。
掛け算の交換法則なんて序の口で、これから先、高度な数学を学習するうえで、解法はひとつではありません。場合によっては答えもひとつとは限りません。
親としては、「こういう解き方もあるんだよ」「こう考えたほうがいいかもね」といった柔軟性を養ってほしいと思っています。
大人になったら掛け算の順序なんて大した意味を持ちません。「決まりきったひとつの方法」に固執する娘にとって、今の小学校の指導方針が適切なのか、少し疑問に思えます。
いまのところ学習面に関してつまづきはありませんが、学校で教わったことを親がしっかり把握して、適切なフォローができるようにしたいものです。
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